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生きることの不確かさ実感

中日新聞 2011年4月9日(土)/著者=安住恭子

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 七ツ寺プロデュース公演「あの小舟ならもう出た」(田辺剛作・演出)は、現在の大震災ともシンクロして、生きることの不確かさや寄る辺なさをさまざまに実感させる舞台だった。
 戦後の混乱から逃れて故郷に帰ろうとする人たちが乗る船の船室。窓もないその部屋に五人の男女がいる。部屋の下は物置で女性の死体が横たわっている。上は物をめぐる争いや金もうけ話などたえず喧噪的で、それを嫌う女は下に逃れて死者と会話する。つまり上下の空間は、俗世間と死の世界の象徴だ。
 さらにそこは一種の宙づり空間でもある。船は濃霧に包まれて、出発しているのかどうかも定かでない。時間的にも空間的にも見通しのきかないまま、海の上に漂っているのだ。しかも彼らは、「快適な船旅を提供します」と唱えながら厳しく管理する船員に支配されている。果たして彼らは故郷に行き着けるのか。
 それはまさに戦争や災害の被災者のリアルな状態であると同時に、私たち全ての姿だろう。人はみなどこかに向かって歩いているものの、そこまでの道のりを見通せているわけではない。またその歩みも、大地にしっかり足を着けているかどうか心もとない。錯綜する情報と管理の中でさまよっているのだ。さらにそこには精力あふれる人から死に近い人までさまざまな人がいて、種々の争いがある。そして死は誰にも突然やってくる。田辺は人間の生の在り様を小さな世界に凝縮したのだ。肯定も否定もせず、ただそうなのだと。(三月十一日、名古屋・七ツ寺共同スタジオ)

不確定な時空に漂う現代人

日本経済新聞 2011年4月21日(木)夕刊/著者=馬場駿吉(演劇評論家)

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 東日本大震災の前夜(3月10日)、名古屋の七ツ寺共同スタジオで上演されたのは「あの小舟ならもう出た」。今思い返してみると、被災を免れた私たちも例外なく不確定極まる現代の時空の中に漂う存在だということに気づかされる舞台だった。
 脚本と演出は演劇ユニット「下鴨車窓」(京都)によって注目すべき活動を続ける田辺剛。七ツ寺プロデュースの委嘱新作であり、出演者もオーディションにより名古屋と関西から起用された。
 舞台空間は上階が窓もない雑然たる乗客共同船室、階下が暗い船倉という設定。その間はハッチ状の境界板をはねあげると往来可能になる。この船室に乗り合わせることになったのは母と娘、若い兄妹、少々やくざっぽい男の5人。どうやら帰郷の途上者たちのようなのだが、この船が濃霧の中、航行も定かではないのと同じように彼らの行く末もまた視界不良。上階の客室には乗客相互の感情の揺らぎ、肉親間の気遣い、職務に忠実そうで不親切な船員の態度など、共同船室の閉鎖的な息苦しさが漂い、最低限の生の世界を思わせる。
 階下船倉の片隅に横たわっているのは、故郷へ運ばれてゆく女性の事故死体らしい。だが上の船室から逃れるように降りてきた女性(前出の妹)はこの死者との会話を体験。この船倉はミステリアスな死の空間なのだ。さらに兄は上階船室の床板を踏み抜き、下半身が船倉内に宙吊りとなり半死半生の状態に。船はやっと不分明な地に着岸するが、船内に取り残されるのは結局、生と死を共有する兄妹と死者だけ。
 この舞台に接してから1ヶ月余。思いは冒頭に記した不穏さへとつながる。