京都を拠点に活動する演劇ユニット"下鴨車窓"のホームページです。

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記憶を探る

演劇雑誌「テアトロ」2013年4月号/著者=太田耕人

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 京都のアトリエ劇研舞台芸術祭で、田辺剛・作/演出の下鴨車窓『煙の塔』(1月31日-2月5日)をみた。
 舞台の闇が深い。奥にある窓から射す白い光によって、ようやく事物が見分けられる。そこが病気の女(大沢めぐみ)と兄(高杉征司)の暮らす家になり、青年(芦谷康介)と姉(岩田由紀)の家になり、村長(藤本隆志)と姪(飯坂美鶴妃)の家にもなる。
 だが窓が最も強い印象をあたえるのは、そこが塔の一室に転換するときだろう。村外れの山奥に、いつも煙に閉ざされ、全貌が見えない塔がある。山には長大な壁が張り巡らされ、近寄ることもできない。窓からは遥かに海が見晴らせるらしい。舞台が村民や村長の家になっている場面でも、窓がうがたれた壁の分厚さ、そこから射す神秘的な光が、つねに塔を想起させる。
 塔には村長の母(新田あけみ)が隠れ住み、青年が秘かに食料等を運んでいる。塔の女は、村長の血筋から出す掟だ。その交代時期が迫っている。唯一の適任者の姪は、まもなく青年と婚礼をあげることになっている……。
 青年とふつうの家庭を築くことを望み、姪は塔へ行くことをためらう。街からきた行政官が塔の調査を主張するが、実現しない。そんな矢先、青年は雪で滑って崖から転落死する。
 絶望した姪は、塔での生活に同意する。塔では燃料補給や機械の調整が必要だという。塔に幽閉される女という中世風の説話が、原子力発電所をめぐる現代の寓話へと鮮やかに変貌する。
 塔から最近した大きな音は何だったのか。病気の女はどこが悪いのか。病気かと聞かれ、もうそろそろだろう、と村長の母が答えるのはなぜなのか。青年は本当に事故死だったのか。すべては原発問題へ収斂してゆき、窓辺に朝陽がみちる清々しい幕切れが、施設の存続をアイロニカルに仄めかす。